エッセーのお勉強

友人がエッセーの勉強をしはじめました。
お題をいただいて、それについてのエッセーを書くのだそうです。
おもしろそうなので、僕も一つ書いてみました。
 
 
大学生の頃、僕は友人とタイへ旅行へ行きました。
その道中、バンコクからアユタヤへ行く電車の中で
ある家族連れと出会いました。
お母さんと、兄と弟。
僕らは3人に、「サワディー クラ」(はじめまして)と
声をかけました。
 
言葉はわかりません。けれど、身振り手振りで会話をして、
歌を歌って、笑いあいました。
するとそのうちお母さんが、袋の中からお弁当箱を取り出しました。
「食べる?わたしたち、そろそろ食べるけど」
 
お弁当の蓋を開けると、中には白いご飯と、マンゴー数切れと、
魚の骨を揚げたものだけが入っていました。
 
子どもたちも「たべてたべて!」と勧めてくれましたが、
お弁当は家族の分しかありません。僕は一口だけいただいて、
「コップ クン クラ」(ありがとう)と感謝を伝えました。
 
 
マンゴーでご飯を食べたのは、
あのとき一度だけです。
 
 
 
僕が乗っていたのは、3等列車でした。
 
当時すでにタイは大きく発展を遂げていました。
バンコクには伊勢丹をはじめとする高級デパートがあって
街行く人たちは、とてもおしゃれでしたし、
カフェでお茶する姿は、日本の友人とかわりません。
 
 
けれども、3等列車には、都市部とは違う姿がありました。
 
エアコンもなく、暑さを紛らわすために、窓を全開にして走る列車。
風は生暖かく、湿気を含んでいて、
乗って10分もたたないうちに、髪や顔はべとべとします。
なにより乗る人たちは、すこし疲れていて、
もっと現実を生きているような印象です。
僕は、どこまでも気楽な旅行者で、
「3等車」を、ただの記号のように感じていただけでした。
けれど、お弁当を見た時に、
目の前にいる家族の生活に一歩踏み込み、何かを見たような気がしたんです。

 

この記憶で、僕は何を感じたのだろう。
振り返ってもよくわかりません。
ワンフレーズでは、語ることのできない何かです。

僕らは旅行中で、背中に羽が生えたように気楽でした。
太陽は嫌になるほど強く照っていて、
風は生暖かく、列車は騒音をまき散らしながら、走っていました。
家族との会話はたのしくて、
笑い声が古い車両の隅々にまで響いていました。
彼らのお弁当はつつましくて、おいしく、
僕はなぜか、そこでバンコクとのギャップを感じて、
かるいショックを受けました。
一瞬の軽いショックでしたが、その経験は
たしかに今でも記憶に残っている、たしかなショックです。
でも何かができるわけではないし、
到着まで、ぼくらは楽しい時間を過ごしただけでした。
 
楽しかった。
でも頭では「すこしだけ悲しむべきことなのだ」とも思ったように思います。
気楽。無責任。何もできない。何もしない。僕たちは旅行者なのだ。
そのことに罪悪感を感じることもなく、
でも同時に、細い針の先に触れるくらいの、罪の意識をどこかで感じていた。
 
それらすべての感情が、複雑に混ざったひとつの丸い塊として
僕の中に生まれ、いまもたしかに僕の中にあります。
 
たった一口たべたマンゴーと、ご飯。
とてもおいしくて、お腹だけでなくて、胸もいっぱいになりました。
そしていま、その記憶を思い出すと、僕はすこしだけ背筋を伸ばして、
「さあ、誰かのためにがんばろう」という気持ちになれます。
 
 
-------
 
このエッセーのお題は、
「自分の好きな四文字熟語か、自分で考えた四文字熟語」でした。
 
「美味満腹」
 
これがこのエッセーのタイトルです。