はじめに言葉ありき

先日、「肩が凝る」という表現は、
夏目漱石がつくったものだと書きました。
それ以前は、肩が「張る」といういい方が一般的でした。
 
 
夏目漱石はすごいなと思う反面、
「肩が凝る」という表現がなければ、
きっとここまで、
肩コリに悩む人がいなかっただろうと
思います。
 
言葉になると、そこに意識がむいて、
痛みは大きくなるものです。
 
 
ただもちろん、言葉にすることは、悪いことばかりではありません。 
僕たちは、「言葉にすることで、現実とうまくつきあえるようになる」からです。
 
 
たとえば、明日までに必ずやらなければいけない仕事があるとします。いま夕方17時。仕事は3合目。
とても焦っていて、同時に、酷い頭痛だったとします。
 
もしも「頭痛」という言葉がなければ、
忙しくてイライラしているのか、
ただ絶望的に焦っているのか、
あるいは、自分は頭が痛いのかを
きっと僕たちは、うまく判別できないでしょう。
 
ただ混乱して不機嫌になりながら、
前へと進もうとする。それがまた、酷い混乱と苦しさを生みます。
 
 
仕事柄、僕は、この手の混乱によく出会います。
ただただ「今の状況は違う」「これではない」という違和感を抱えていて、
でも、何が違うのか、いま目の前で何が起こっているのかが、
わかりません。
 
 
わからないから、
頭痛薬を飲めばいいのか、
締め切りを先延ばしすればいいのか、
同僚に「あとで一杯おごるから」といって仕事を依頼すればいいのか、
或は、そのすべてのアイデアを、一つずつ打てばいいのか
がわからないし、それらのアイデアにも断片的にしか、到達できない。
 
 
状況を整理することが大切なのは、
いま目の前の状況に、言葉をあたえないと、
それがなにか、自分にもわからないまま、
ただただ混乱してしまうからです。
 
 
聖書で神が語った通り、この世界には、 
「はじめにことばありき」という側面が
あるようです。

 
 
「いま、あなたには何が起こっていますか?」 
 
 
そう考えることからスタートすると、
今までとは違う、いい打ち手がうてるかもしれません。 
 
 
 
言葉の話し。