聴くことについて。

「聴く」というテーマで、講演の依頼をいただきました。
僕の仕事は、僕の中の「内的な動き」や、「伝える内容」を別にすれば、
基本、聴くことと話すことで成り立っています。

コンサルティングを受けている方からのご依頼なので、
僕のその基本的な活動が、
特別な作用を生んでいると感じてくださったのだろうと
想像します。そういう意味で、この依頼は僕にとって
決定的にうれしい出来事でした。
  
  
  
それがいつまでなのか思い出すことはできませんが、
あるときまで、「聴くこと」は、仕事の中の50%を構成する活動にすぎませんでした。
 
それは「話すことと仕事全体を二分した、残りの半分」という意味です。
その頃の僕にとって、聴くことは、
「医者が治療をする時に、
問診をせずに、処方をきめることができない」
という程度の意味しかなかった。
  
もちろん、その作用は、僕の仕事にとって決定的に重要なことです。目の前に来たクライアントさんにとって何が重要か、僕は初め、何も知らないのですから。
 
けれども、いまから考えると、その時期は、聴くことの作用の一部分しか使えていない時期でもあったと思います。本来、もっと豊かな作用を生み出す魔法の泉の水を、育てているホウレンソウにあたえているだけだったようなものです。意味がないわけではないけれど、確かに、何かを受けとり損なっています。
 
 
これは振り返ってわかることですが、
(僕の人生では、いつでも振り返った時にだけわかる本心や、置かれている本当の状況があります)
聴くことの意味や技術や、相手や自分に与える影響は、
いくつかのきっかけを経て、変化していきました。
  
その変化は、ある時には急激で、あるときは緩やかなわけですが、後戻りしないという意味で、悠然と流れる大河のように着実だったと言えます。