お釈迦様の、声

もう十数年も昔、学生の頃、僕は趣味で、
お釈迦さんについて学んでいました。

いろいろな教典に当たりながら、
「本当は何を話したのだろう」と、想像する日々。

彼の言葉を聞いてみたかったな。
きっと、快活で、やさしくて、
気持ちのいい人だったのだろうと、思いました。
 
 
 
必然、
僕は、仏教の一番最初の教典を手に取ります。
「スッタニパータ」です。
  
それでも釈迦没後、
かなり時間が経ってから書かれたものですが、
これが一番、彼に近い。 
 
  
そのとき最初に目に留まったのが、何度も何度も
 
 
「犀の角のように、ただ独り歩め」
 
 
と繰り返す詩でした。
(犀は、サイ。動物の)
 
 
この詩、特徴的なので、読んだ方は、きっと目に留まると思います。 
けれども、この詩は不思議です。
 
  
お釈迦様たちは、すすんで集まり、
集団を形成して修行をしています。
なぜ、「ひとり歩め」と言ったのでしょう。
  
  
お釈迦さんの教えは、合理的です。
 
(ここでいう合理的は、「本当の合理的」です。
 自己正当化のために、
 すぐに「合理化して物事を考えることとは、真逆」です。
 それは、お釈迦さんに言わせると、不幸の素)
 
 
だから、不思議な詩でした。
論理的に、おかしい。
  
  
ただ、そんな疑問を持って、友達と話をしているときのことです。
それは「心が自立することが、大切」という意味だと
気づきました。
 
 
人と出会い、
一つになることはある種の快感を生むけれど、
本当は苦しみにすぎない。
人に心を預けてはいけない。依存し、憑依してはいけない。
 
もちろん、愛別離苦はある。
けれど、心を自立することで、
人と出会っているときも、
心をかき乱されることなく、
本当に、豊かな気持ちでいられるという意味だと。
 
そうすれば、人との出会いを、もっと大切にできる。 

 
 
 
・・・というのは、なんちゃって。勝手な解釈です。
  
  
ただ、こんな風に考えるのは、きっと役立ちます。
 
あなたは、人と会っている時に、安心感を持っていますか?
何かに必死になり、自分を忘れてはいませんか?